榊原康政といえば、徳川家康を支えた徳川四天王の一人として知られて
いますが、その子孫が享保17(1732)年に姫路城主となっています。

榊原政岑です。

政岑は、並外れた遊び好き。江戸の吉原で遊ぶうちに、高尾太夫に惚れ
てしまい、通いつめるだけでは足りずに、ついに2500両ともいう大金を積
んで身請けしてしまいます。
元禄の世ならいざ知らず、時は将軍・徳川吉宗が旗をふるっていた享保の
改革の真っ最中。
質素倹約を良しとする改革に反抗する者である、と幕府の目に映り、隠居
に追い込まれてしまいます。

けれど、これだけでは遊びで身を滅ぼした殿様というだけのこと。
政岑がひと味違うのは、粋な遊びを自分だけで楽しまず、町民にも伝えた
こと。
それまで武家だけが楽しんでいた神社の夏祭りを町民にも、と触れを出し
たのです。

しきたりに従った裃もつけられず、走り馬の儀式も出来ない町民が参加す
るのはいかがなものか、との声には「裃がなければ、ゆかたでよし。走り馬
が無理なら回り灯篭でかまわぬ」と、政岑は気にしません。

これが、現在も姫路城を中心に夏祭りとして賑わう『ゆかたまつり』の起源
だということです。

政岑はただの放蕩大名ではなく、粋なお殿様だったのですね。
ゆ か た 祭 り