姫路城が池田氏により築城される以前、小寺則職(こでら・のりもと)が姫路城主だった
永正2(1505)年、城内で行われた花見の宴で、その事件は起こりました。

家老の
青山鉄山が、城主の則職に盃をすすめたところ、同じく家老の花房兵衛がそれを制止しました。

毒酒の疑いがあるというのです。

実は予ねてから鉄山は主家横領を企んでおりこれに気づいた兵衛は、忠臣の衣笠元信と図り、元信の愛妾お菊を鉄山の屋敷に潜入させ、陰謀を探り出していました。

しかし、鉄山もさるもの、席を蹴って屋敷に引き上げると挙兵。

両者の戦いとなりました。

鉄山の軍勢は強く、兵衛と元信の軍は龍野に逃れ、城主の則職は家島に逃亡。

鉄山は、まんまと姫路城を手に入れました。

事件後も、動向を探るためにお菊は青山家に残ります。

一方、鉄山の部下・
町坪弾四郎はお菊に言い寄りますが、お菊はなびきません。

そこで弾四郎は家宝の十枚組の皿を一枚隠し、お菊にその罪をかぶせて、罪を許すかわりに意のままになれと強要するのです。

けれども、お菊は、それでもうんとは言いません。

ついにお菊は責め殺され、死体は井戸に放り込まれてしまいました。

その後、井戸からは「一枚、二枚…」と皿を数える恨めしげな声が聞こえ、一同は戦慄したということです。

やがて再起した衣笠元信は、鉄山を打ち破りますが、お菊の無惨な死を知った元信は嘆き悲しみ、彼女をお菊大明神として祭ったそうです。

その井戸は『お菊井戸』として現在も姫路城内に残っています。
お 菊 物 語